文化浴ポイント京都編

 

文化財の名称:元祇園梛神社

文化浴の種類:建造物文化財 神社

所在地:京都市中京区壬生梛ノ宮町18-2

アクセス:阪急大宮駅、嵐電四条大宮駅から 徒歩10分

貞観5(863)年、平安京で疫病が流行し、朝廷は神泉苑で非業の死を遂げた死者の魂を鎮める「御霊会」を行いました。当時、疫病は、恨みをこの世に残し亡くなった人々の怨霊と考えられていたからです。

しかし、その後も伝染病は続き、さらに全国的に地震や富士山の噴火などの災害が相次いだことから、貞観11(869)年、播磨国広峰(広峰神社)から祇園精舎の守護神である牛頭天王(素戔嗚尊)を勧請し、六十六本の鉾を立て、神泉苑に祈願しました。これが祇園祭のはじまりです。

当時の公卿藤原基経によって、八坂の地に祇園社(現在の八坂神社)を建立することになるのですが、建立されるまでの間、この地を祭祀場として、牛頭天王の分霊をのせた神輿を祀りました。かつてこの地は数万本の梛林だったこともあり、元祇園梛神社と呼ぶようになったのです。

貞観18(876)年、祇園社が創建されると、梛の住民が花で飾った風流傘を立て、鉾を振って音楽を奏でながら神輿を八坂に送ったと伝わります。まさに祇園祭の原型です。

滞在時間の目安:10分

 
 

【国の窮地・・・その時、人はどうするのか?】

-こんな時に訪れてみよう!- (逸話にふれたい)

京都の幹線道路・四条通に面するここは、始終車の騒音が響いています。目を閉じると・・・梛林・・・の気分にはなれない!けれど、想像の翼は広がります。

境内から北方向にはちょうど神泉苑。
つまりここは、今でいう永田町。政治の中心地です。

伝染病、地震、噴火・・・国が窮地に陥った時、為政者は、庶民は、どう動くのか?
そんな姿が透けて見える気がする、聖地です。

当時、怨霊封じを率先して行ったのは政治家ですが、死者の怨霊ではなく、疫神自体を鎮め、慰めるように、鉾や傘で風流な御霊会を形づくっていったのは、庶民だったようです。

神様だって、怨霊だって、みんなみんな、美しいものがお好きと違うやろか?
精一杯、心尽くしのおもてなしをしようや!!

・・・なんて声が聞こえてきそうな、京都が世界に誇る文化遺産、祇園祭の原点。

訪問日時:2017年10月17日 記:ともえ

 

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