本満寺の青い石廟|結城秀康の正室・鶴姫と20年越しの旅

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京都・本満寺に眠る、青い石廟

京都・本満寺。
しだれ桜で知られるこのお寺に、
ひっそりと、不思議な青い石廟があります。

2004年、
その石廟は崩壊していました。

調査の結果、
その主は──

徳川家康の次男・結城秀康の正室、
鶴姫であることがわかります。

その時、私はまだ、
文化財を語る人ではありませんでした。

けれど、
この石廟との出会いが、
私の人生を変えることになります。

「ちょっと待って!」
―修復現場で起きたこと

他の墓とは明らかに異なる、異彩を放つ姿。
無下にできないと、修復が決まりました。

その作業の最中のことです。

地中から骨壺が見つかり、諸事情から新しい壺へ中身を移し替えることになりました。

作業者が手を伸ばした、その瞬間。

「ちょっと待って!」

ある女性が、その手を止めました。

「生きている時でさえ、
男性に触れられるのが嫌やったのに、

なんで死んでからまで触られなあかんの。
せめて、女性にしてほしい──そう言うてはる」

場が止まりました。

そして、その役目が、なぜか私に回ってきたのです。

白装束に身を包み、白手袋をはめ、
祈りのなかで、ご遺骨を少しずつ移し替えていく。

思いがけないものまで出てきて・・・あの時の感触は、今も忘れられません。

鶴姫という存在に惹かれて

調査を進めるなかで、石廟の青は「笏谷石(しゃくだにいし)」という福井の石であることもわかり、やがて私は、この鶴姫という存在に強く惹かれていきました。

そして2007年春。

この石廟の桜の下で、
はじめて人前で文化財を語りました。

それが、わたしの原点です。

歴史に残らなかった、ひとりの姫の人生とは?

けれど──
調べても調べても、
鶴姫のことはほとんど残っていない。


歴史に記されるのは、
多くが男性の物語だからです。

どんな人生だったのか。

何を感じ、何を選んだのか。

ずっと、
わたしの中に問いが残り続けていました。

20年越しに辿り着いた、結城市と水戸市

そして20年の時を経て、ようやく──
その足跡を辿る旅に出ることができました。

結城市、水戸市へ──

事前に役場やゆかりの寺院にご相談していたこともあり、結城市には3日間も滞在。

「鶴瓶の家族に乾杯」さながら、まちの方々に力を貸していただき、想像以上の発見がありました。

京都では知り得なかった、結城家や鶴姫にまつわる新事実。

新たに浮かび上がる問い。

文化浴の旅は、空想と確認の連続です。

父、養父、舅、夫、子に関する新事実の発覚。

日本三大埋蔵金にまで話が広がって・・・

そして何より、鶴姫という人の心に、確かに一歩近づいた感覚があります。

5月24日|京都・本満寺にて鶴姫供養会を開催します

来る5月24日(日)10:30より、京都・本満寺にて、鶴姫様供養会が行われます。

供養会ののち、私・澤野友映より、
お話をさせていただきます。

徳川家康公の知られざるファミリーヒストリー『戦国の世で、ひとりの姫が紬いだ物語とは 』

『20年越しの新発見|鶴姫の真実』
この物語の続きを、
ぜひその場で受け取ってください。

※ご連絡いただいた内容は、文化浴の森で取りまとめ、本満寺へお繋ぎいたします。

※本満寺さま主催の催しとなりますため、文化浴の森の回数券はご利用いただけません。

※参加費の一部は、由緒板の整備などに充てられます。

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この記事を書いた人

文化浴の森 主宰|文化浴提唱者
澤野友映(さわの ともえ)

文化財修復の家に生まれ、自らも事業にかかわりながら、2006年より、のべ約1万人に文化財の物語を届けてきました。
その経験のなかで、文化財には人の心身を調える力があることを実感し、「文化浴」と名づけた営みを続けています。
それぞれの歩幅で人生が豊かになるように、文化浴の体験と学びを提供しています。

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