【この記事のポイント】
・夏至(げし)は 一年で昼が一番長く、夜が一番短い日。
・期間としての意味もあり、6月21日から7月6日頃までを「夏至」と呼ぶ。
・夏至の頃に「茅の輪くぐり」で半年のケガレを祓う習わしがある。
・茅の輪くぐりの由来は、奈良時代以前から伝わる蘇民将来の物語にある。
・京都では、いよいよ祇園祭が始まり、夏が本格化する。
夏至(げし)とは?
6月21日は「夏至(げし)」です。
夏に至ると書いて「夏の真っ盛り」という意味。
北半球に位置する日本では、一年で昼が一番長くて夜が一番短い日。
昼が一番長いのに、意外と“真夏感”はまだないんが『夏至』やったんですけど… 今年はもうすっかり真夏日ですやん! ほんま、この暑さ、先が思いやられますわ…。 せやけど、乗り越えていきましょ!
二十四節気は期間を表すこともあるから、6月21日から7月6日頃までの約15日間のことも夏至と表現します。
紫陽花(あじさい)や半夏生(はんげしょう)が綺麗な季節ですね。

茅の輪くぐり
夏至がはじまると、そろそろ京都のあちこちの神社に茅の輪が飾られます。
「茅の輪」とは、チガヤというイネ科の多年草や藁(わら)などで作られた大きな輪のことを言います。
チガヤは、しめ縄としても用いられるもの。古来から、身に付いた厄を払う神聖なものとして重要な役割を果たしてきたんです。
8の字を描くように茅の輪をくぐることで、1月からこの日までの罪やケガレを祓って、残り半年の無病息災を祈るんです。
そして、6月の晦日(みそか)には各神社で「夏越(なごし)の祓(はらえ)」が行われます。
「茅の輪くぐり」が神事として行われるようになった由来については諸説ありますが、蘇民将来(そみんしょうらい)説が有力です。

蘇民将来物語 ── 茅の輪のはじまり
奈良時代初期に編纂された『備後国風土記(びんごのくにふどき)』には、旅の途中に宿を求めて訪れた貧相な身なりのスサノオノミコトを、備後国(今の広島県東部)の蘇民将来(そみんしょうらい)が、貧しいながらも心を込めておもてなしをした。
その恩返しとして、スサノオノミコトから「疫病を逃れるには、茅の輪を腰につけなさい」と教わり、蘇民将来の一族は難を逃れた…という物語が残っています。
一方で、蘇民将来の弟とされる巨旦将来(こたんしょうらい) は裕福でしたが、スサノオノミコトをもてなさず、その後、疫病で滅ぼされたと伝えられています。
蘇民将来の一族の中でも、娘だけが助けられたという説もあるんですが、いずれにしても、腰の茅の輪が護符となり、後の「疫病除け」の信仰につながっていくんです。
その茅の輪が、いつしか人がくぐり抜けるほど大きな輪となり、今では全国各地の夏越の祓で大切に受け継がれているんですね。
茅の輪と祇園祭 ── 京の夏を迎える儀式
私の経験からいうと、茅の輪くぐりは、180日分のケガレ(=気枯れ、汚れ)をリセットする効果が、あると思います。ほんまに。
汗かいても、しっかりとお参りしておくと、なんかその夏は夏バテしにくい気がしますもん。
初詣と同じくらいの意味はあると思てます。
年々、暑さが度を越してきてるし、夏を元気に乗り越えるためにも、ここらへんで、ケガレ祓ってスッキリしましょねー!
で、京都の街なかは、7月の初日「朔日(ついたち)」に、祇園祭がはじまります。7月の晦日までのまるまる1ヶ月間のお祭。
街なかに、コンチキチンって祇園囃子が流れはじめますねん♪この祇園祭こそ、蘇民将来のお祭りなんですわ。

蘇民将来が教える最強のお守りとは?!
1,200年も前に生まれた物語。
巨旦将来は、わざと冷たくしたわけやないんかもしれません。面倒くさかっただけかも…しれません。
けど、そのそっけなさが、ときに刃となる。
「愛の反対は憎しみやない、無関心」
マザー・テレサの言葉を思い出しました。
損得抜きに、目の前の困っている人に、どれだけ心を尽くせるか?
人間、試されてるんかもしれませんね。
千年以上前から受け継がれる日本の物語が、教えてくれてるんやなぁと思います。
茅の輪をくぐるとき、誰かの無病息災も、そっと願ってみましょうね。
それが、蘇民将来からの、一番大切なお守りかもしれませんから。