文化浴ポイント京都編

 

文化財の名称:岩屋寺の名句と遺髪

文化浴の種類:アート浴 その他

所在地:京都市山科区西野山桜馬場96

アクセス:地下鉄東西線椥辻駅より徒歩30分

神遊山岩屋寺は曹洞宗永平寺派の末寺で、尼寺です。

ご本尊は不動明王の木像立像でご秘仏となっており、「赤穂事件」で有名な大石内蔵助の念持仏だったそうです。
この岩屋寺の境内には内蔵助の遺髪塚や遺愛の品、四十七士の木像や邸宅跡があります。
浅野内匠頭の切腹後、討ち入りに旅立つまでの1年4ヶ月をこのお寺のすぐそばで住んでいたそうです。

四十七士の木像前に掲げられるのは「萬山不重君恩重」「一髪不軽我命軽」の二句。内蔵助が討ち入り時に所持していた愛用の小刀に彫り刻まれていた大石家伝統の名句で、討ち入りの際にも内蔵助が詠み、浪士たちの心を強く結び付けたといいます。

萬と一、山と髪、重いと軽い、君と我が対になり、「主君の恩は萬山よりも重く、私の命は一本の髪の毛よりも軽い」との意味を示します。

滞在時間の目安:10分

 
 

【帰ってきた大石内蔵助】

-こんな時に訪れてみよう!- (逸話にふれたい)

岩屋寺は京都山科の西野山にひっそりと佇む。西野山を萬山にみたて、マクロな山景色から、ミクロな髪の毛へズームイン!こうして景色の中で句を感じると、山と髪を対比させた昔の人のセンスにリアルに酔いしれる。

岩屋寺には寺坂吉右衛門が大石内蔵助の髪を祀った遺髪塚もある。彩つき始めた山に抱かれるようにひっそりと佇む内蔵助の遺髪。もしや・・・吉右衛門はこの対句を胸に、萬山を西野山にみたて、まるで主君浅野家(西野山)に包まれるように内蔵助(遺髪)をここに祀ったのではないか?いや待てよ・・・内蔵助が生前、吉右衛門に頼んだのかもしれない。

いずれにせよ、ここは内蔵助が討ち入りの覚悟を決め、策を練った地。2年足らずの隠棲地であっても、内蔵助はこの山に帰ってくることを願ったと思う。吉右衛門も内蔵助が望む終の棲家はここだということを、よくよくわかっていたに違いない。

そう思えるくらい、ここには今も昔も変わらない静かで平和な時が流れているよな気がする。

訪問日時:2018年11月17日 記:ともえ

 

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