方丈記の震災記録 180623第66号
* 思わず行ってみたくなる♪文化浴情報
宗教と科学。自然と人工。心と物・・・ 一見相反するもののエネルギーバランスをとりながら・・・
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* 身も心もイキイキ!文化浴&ウォーキングコラム
おはようございます。 関西の皆さん、 先日の地震は大丈夫でしたか?
私は無事だったのですが、茨木市に住む兄の家は、家具や家電が倒壊する程度の被害がありました。地震当日は勤め先の大阪南部から遠回りして、電車やバスを乗り継いで3万歩かけて京都へ帰ってきました。
こういう時こそ家族や友人、人と人の繋がりが何よりも大切だと実感しています。
そして、あらためて東日本大震災、熊本地震で被災された方のことを思っています。他人事にしてはいけない。
皆さんが、一日も早く元気になられますよう、一日も早く復興されますようお祈り申し上げます。
◆「方丈記」にみる災害記録
山くづれて川を埋み、 海かたぶきて陸をひたせり。
土さけて水わきあがり、 いはほわれて谷にまろび入り、
なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、 道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。
いはむや都のほとりには、 在々所々堂舍廟塔、 一つとして全からず。
・・・これは「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で始まる、鎌倉時代に鴨長明が書いた有名な随筆「方丈記」の一節です。
言わずもがな、「方丈記」はこの世の無常観を綴るエッセイで、清少納言の「枕草子」、吉田兼好の「徒然草」とともに日本三大随筆と呼ばれています。
実はこの「方丈記」、長明が若い頃に京都で体験した大火、辻風、福原遷都、飢饉、地震に関する5つの災害記録の文学としても高い評価を受けています。
先の一節は、元暦2(1185)年、壇ノ浦の戦いの4ヶ月後、M7.4の大地震が京都を襲った時の様子といわれます。
山くづれて川を埋み=山崩れ、海かたぶきて陸をひたせり=津波?琵琶湖か?土さけて水わきあがり=液状化、いはほわれて谷にまろび入り=崖崩れと解釈できます。
◆人は今も昔も同じ
また、現代訳「家の中に居れば押し潰されてしまう。走り出れば、地割れに遭遇する。羽が無いから空を飛ぶこともできない。龍ならば雲に乗れるのに・・・。恐ろしいものの中で、最高に恐ろしいのは、地震だと思い知らされた・・・
・・・(塀の下敷きで亡くなった)子を父母が抱えて声のかぎりに泣き叫んでいたのが、あまりにあわれで、悲しい思いで見ていた」とも。
「何日かは強い地震が20~30度も連日発生し、だんだん間遠くなっていったが、結局3ヶ月ほど余震が続いた」とも。
さらに「月日が重なった後には、口に出して言う人もいない」と災害の記憶が風化しやすいことも指摘しています。
◆先人の教えを心に
鴨長明はエリート街道を約束された神官の子として生まれたのですが、不運にも若くして父を亡くし、その後も望む地位に就けない波乱の人生でした。
最終的には出家し、日野の山里に「方丈庵」(3メール四方の簡易木製テント)に隠棲し、世の無常を綴ったのが「方丈記」です。
望み通りにいかない人生や愛する家族も肩書も財産も一瞬で奪う戦乱、災害を目の当たりにし・・・辿り着いたのがテント暮らし。理に適っていますね。
今も昔も自然災害の前で人は、無力です。地震の予測ができないのは今も全く変わらない。
先人の教えを心に響かせながら、日本は大昔から、常に揺れ続けてきた国だということを、忘れちゃいけないですね。
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